(画伯の部屋)
先日、外国帰りの友人と話していた時に。
海外のある地域では、同じアプリでも、iPhoneかAndroidかで、サービス料金が違うという。
つまり、iPhoneユーザーの方が料金が高い、というのだ。
iPhoneユーザー…リッチマン
Androidユーザー…プアマン
取れるところから取る、というわけだ。
おいおい。
あまりにも区分が雑すぎるだろ…と思うかもしれないけど、あながち間違ってないと思う。
格安Androidはあっても、格安iPhoneというのは存在しない。
もちろん、Androidにもバカ高い機種はある。でもそれは例外的な存在だ。
画伯?もちろんAndroidだ。
ほぼ毎年のように画面を割るので、高価なものは持ちたくないのだ。
形あるもの、いずれ壊れるは世の理。
ヒビだらけのiPhoneを持つより、ピカピカのAndroidを持っていたほうが精神的に良い。
それに、いくらiPhoneが高性能だと言っても、おそらく僕はその能力の10%も使い切らないだろう。
それなら、安いAndroidをバリバリに使いこなしたほうが、機械の使い方としては正しい。
これはこれで別に間違いではない。
でも思うのだ。
Androidを品定めする時、「価格ドットコム」というサイトを見たのだが、これがまさしく「貧乏人ドットコム」と言い換えてもいいようなサイトなのである。
貧乏人は比較検証が大好きだ。ちょっとでも安いものを探す。
だいたいこの、安いものを探す、という考え方そのものが、貧乏人の思考回路である。
その点、価格ドットコムは非常によく出来たシステムだ。
そして、たかだか数千円、数万円出して買ったものについて、貧乏人はああだこうだとレビューでこき下ろす。
「製品は良かったけど、期待を込めてマイナス星1」とか、理解に苦しむ。
もっとも意味不明なのが「価格相応でマイナス1」という評価だ。価格相応、ならそれでいいじゃん?価格と性能がマッチしてるんだろ?と思うのだが、何かに付けてケチをつけたがる。
だから画伯は、貧乏人ドットコム、いや、価格ドットコムが大好きである。
1円でも安いものを、ちょっとでもスペックが高いものを、何時間もかけて探し回るのである。
そう考えた時。
何も悩まず、考えず、比較せず、「スマホ?iPhone買うわ!格好いいし」と言い切れる人は、これはこれで大いに理にかなっていると思うのである。
大体、悩む時間というのは人生において非常に無駄である。
下調べもせずに最新のiPhoneを買ったとしても、さほど後悔することはない。
もともと、Appleの哲学は、「これが一番いいのだ!だからこれを買え!」というもの(だと、私は理解している)。
考えるな!Appleを買え!
早くそれができる身分になりたい。